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2019.12.9(月)「ITday Japan 2019〜IT監視社会か? IT市民社会か? それが問題だ〜」を開催しました

「IT革命の父」ダグラス・エンゲルバートのThe Demo 51周年記念

ITday Japan 2019 〜IT監視社会か? IT市民社会か? それが問題だ〜

2019年12月9日(月)開催

2019年12月9日(月)、東京御茶ノ水デジタルハリウッド大学にて、 「IT革命の父」ダグラス・エンゲルバートのThe Demo 51周年記念デジコンサロン・スペシャル「ITday Japan 2019〜IT監視社会か? IT市民社会か? それが問題だ〜」シンポジウムを開催しました。

Think Different

シンポジウムでは、最初に「ITday Japan」シンポジウム実行委員会 代表の高木利弘が基調講演を行いました。
冒頭、ジョブズが「Think Different」(発想を変えよう)というメッセージを背景にしたシーンを紹介。この「Think Different」(発想を変えよう)という言葉は、1997年、倒産寸前のアップルに復帰したジョブズが発したメッセージで、それから2011年にジョブズが亡くなるまでの14年の間にアップルを時価総額世界一企業に変貌させた「魔法の言葉」であった。今、世界の雲行きはあやしくなり、香港デモやグレタ・トゥーンベリさんの環境デモをはじめ、あちこちで現状の政治・経済システムにノーを突きつけるデモが起きている。いわば、世界全体が行き詰まり、倒産寸前の状態にあるわけですが、では、どう発想を変えればこうした事態を脱出すことができるのか、ということを今日はお話します。

続いて、NHKスペシャル「消えた弁護士たち 中国“法治”社会の現実」と「天安門事件 運命を決めた50日」( https://bit.ly/2PeyBLD )を取り上げ、人権派弁護士を突然拉致し、ロボトミー化する中国“法治”社会の非人間的な実態と、天安門事件で多くの人民を虐殺した現中国政権が、香港市民に妥協することなどあり得ない、それが我々が直面している現実だということを紹介しました。

「ITday」とは何か?

そして、本題に入り、まず、「ITday」とは何か、私たちは何故、「ITday」の活動をしているのか、ということについてお話しました。
「ITday」は、IT革命の出発点となったダグラス・エンゲルバートの「The Mother of All Demos(すべてのデモの母)/The Demo(ザ・デモ)/The Big Demo(ビッグデモ)」が1968年12月9日に開催されたのを記念して、毎年12月9日を「ITday(IT記念日)」と定め、全世界で一斉に「ITdayシンポジウム」を開催し、エンゲルバートが提言した「どうすれば人間の知性を高めるITを開発できるか?」ということについて議論するととともに、そうした優れたITを活用して、実際にみんなで理想的な未来社会「IT市民社会」を創造してゆこうという活動です。
The Demoで一番有名なのは、この時世界で初めて「マウス」でコンピュータを操作したことです。これが、それまで専門家が独占していたコンピュータを一般人に解放する契機となり、パーソナルコンピュータ革命の出発点となりました。

実は、もうひとつ重要な点があります。それは、エンゲルバートが「A research center for augmenting human intellect(人間の知性を高める研究の核心)」というテーマを掲げ、NLS(oN-Line System/オンラインシステム)というオンライン・マルチユーザー・コラボレーション・システムをデモしたことです。The Demoが行われたのは、1969年にインターネットがスタートする一年前でしたが、その時すでにインターネットの将来あるべき姿・理想型を示していたのです。それに比べて、現状のインターネットはどうでしょうか? 人間の知性を高めるレベルに達しているでしょうか? ぜんぜん達していません。それどころか、フェイクとヘイトが蔓延し、知性を高めるどころか、低めているような状態です。オンラインでマルチユーザーが協働して、人類が直面する複雑で深刻な問題を解決できるようにもなっていません。つまり、The Demoは決して古い昔話ではなく、私たちがこれから目指すべき未来を指し示してくれているのです。そこで、The Demoでエンゲルバートが掲げた未来の理想的なIT社会を「みんなで一緒に実現しましょう!」と提案し、その活動を世界的に広げていこというのが、この「ITday」のミッションなのです。

①システム思考

では、具体的にどうやって人間の知性を高め、人類が直面する複雑で深刻な問題を解決すればいいのでしょうか?
その答えは、「システム思考」によってである、という話を最初にしたいと思います。

「システム思考」とは何か? その答えをわかりやすく教えてくれる番組がありました。NHKスペシャル「ダビンチ・ミステリー 第2集 “万能の天才”の謎〜最新AIが明かす実像〜」です。「万能の天才」レオナルド・ダビンチはどうして「万能の天才」になり得たのか? それは「システム思考」によってである。自然界や人間社会のような複雑な事象を理解し、問題解決をする鍵は、これからのAI時代、最も必要とされる「システム思考」、すなわち「既存の常識にとらわれず、あらゆる物事を関連性・つながり・文脈で捉える思考法」にあるという話でした。

「システム思考」は、「世界の本質を理解」することができる思考法です。そして、それによって「世界を変えられる」思考法でもあるのです。

レオナルド・ダビンチ、ダグラス・エンゲルバート、アラン・ケイ、スティーブ・ジョブズ、この4人に共通しているのは、世界の本質を理解し、世界を変えられる「システム思考」を体得していたことなのです。

昨年、2018年12月10日(日本時間)に開催したインターネット商用化25周年/ダグラス・エンゲルバートThe Demo 50周年記念「IT25・50」シンポジウム の基調講演の中で、アラン・ケイは「エンゲルバートはシステム思考をしていた」という話をしていました。

そして、「人間・教育・メソッド・言語・道具を結合し、システムとして機能させる」ことで「人間の知性を高め」「協働して人類が直面する深刻な問題解決をはかるべきである」という話をしていたのです。このようにエンゲルバートの「システム思考」を理解することがきわめて重要なわけですが、The Demoから51年経った現在においても未だに我々はそれを実現できていません。

ダビンチは、5,600ページもの手稿を残していました。それをすべてスキャンし、AI分析した結果、色々なことがわかってきました。たとえば、ダビンチは、ガリレオが地動説を発表する100年近くも前に、太陽と月と地球の関係を手稿に描き残していたのです。

そして、飛行機もなかった時代に上空からの正確な地図も残していました。AI分析の結果、おそらくこれで計測したのではないかという器械が見つかり、実際にその器械を作って計測したところ、衛星写真とぴったり合うことがわかりました。

動脈内部の弁が閉じるのは、血流の渦が生じるからである」ということも書き残していました。こうした発見ができたのは、ダビンチが幼い頃から「水」に関心を持ち、「水」こそが生命の担い手であるということに気が付いていたからではないか、だからこそ、「モナリザ」をはじめ数々の肖像画の背景に川をはじめとする自然を描いていたのではないかと番組では推測しています。


「聖母子と聖アンナ」の背景にも、そうした川のある風景が描かれています。

では、どうすれば「システム思考」を身につけられるのか? そのヒントはジョブズが晩年、2度も繰り返して述べた「テクノロジーとリベラルアーツの交差点」という言葉にあります。この言葉は、2010年1月に初代iPadを発表したときと、2010年6月にiPhone 4を発表したときに、基調講演の最後にジョブズが述べた言葉で、「アップルが創造的な製品を開発できるのは、テクノロジーとリベラルアーツの交差点に位置しているからである」というように、アップルが何故、素晴らしい製品を開発することができ、それによって、時価総額世界一になることができたのか、その秘密を明かしてくれているのです。しかし、多くの人は、その本当の意味を理解しようとはせず、また、そう簡単に理解できる言葉でもありませんでした。その本当の意味を、今日ここで、皆さんに明らかにします。もちろん、あくまでも私の理解している本当の意味ということですが。まず、第一に「リベラルアーツ」というのは、辞書で引くと「教養」と出てきます。しかし、「技術と教養の交差点」では、一体何を言おうとしているのか、ぜんぜんわかりません。

「リベラルアーツ」は「藝術」と訳すのが正しいのです。何故なら、「藝術」という言葉は、明治時代、西周が「リベラルアーツ」の訳語として作った造語だからなのです。今日では、「芸術」というと「アート」の訳語だとされていますが、「アート」という言葉が、どちらかというと表面的な、あまり深みのない作品にも使われたりするのに対して、「リベラルアーツ」はもっと深みのある、「あらゆる学問を、一切の前提を排して、徹底的に藝術的なレベルにまで極める」という意味で使われる言葉なのです。本来、「教養」というのは、「学問を極限まで、藝術的なレベルにまで極める」という意味の言葉なのですが、私たちが普段使っている「教養」という言葉には、そこまで深い意味がありません。ですから、ここは「藝術」と訳すべきなのです。それから、「テクノロジー」という言葉も、ジョブズが使っているのだから「コンピュータ・テクノロジー」とか「エンジニアリング」のことだろうと思う人が多いのですが、それも間違っています。「テクノロジー」という言葉には、そうした理系の技術だけではなく、「官僚」「法律」「国家」「軍議」「マネー(金銭)」「経済」「経営」「仕事」「学校」といったように、ありとあらゆるテクニック、私たちが「制度」と呼んでいるものも含まれているのです。そして、日本の官僚や政治家、専門家は、このテクニックの話ばかりしている。あるいは、「技術」も「藝術」のどちらもが欠落している。だから、ダメなのです。

「テクノロジーとリベラルアーツの交差点」とは「技術と藝術の交差点」のことであるというのは、このようにダビンチに置き換えてみるとよく分かります。「システム思考」とは「テクノロジー(技術)とリベラルアーツ(藝術)の交差点」に位置して初めて体得できるものであり、要するに「ダビンチ思考」であると考えればわかりやすいと思います。

ジョブズは「テクノロジー(技術)とリベラルアーツ(藝術)の交差点」に位置することで、iPhone、iPadという革新的な製品を世に送り出し、それによって、アップルを時価総額世界一企業にするという偉業を成し遂げました。その下にある左側の写真は、私とパネラーのひとり、園田智也さんがアラン・ケイのご自宅を訪問したときのものです。三人のうしろに見えているのはパイプオルガンです。今日、おいでの皆さんの中に、自宅にパイプオルガンがあるという方は、いらっしゃいますでしょうか? 右側の写真は、そのパイプオルガンのある大きな部屋でクラシックコンサートを開催しているところです。私がアラン・ケイに「基調講演の打合せのためにお伺いしたい」と言ったところ、「ちょうどそのころコンサートをやるから、それに合わせて来ないか?」といって招待していただいたのです。アラン・ケイは、若いころ、プロのミュージシャンとしても活躍していました。昼間はコンピュータサイエンティストとして研究に打ち込み、夜はプロのギタリストとしてジャズ演奏をする。そういう「テクノロジー(技術)とリベラルアーツ(藝術)」の両方を極めている人だからこそ、「システム思考」をすることができ、それによって世界を変えることができたのです。

そして、実は、この「テクノロジー(技術)とリベラルアーツ(藝術)の交差点」という考え方は、伝統的な日本文化に極めて近いものなのです。ジョブズが亡くなった2011年に、私は『The History of Jobs & Apple』というジョブズとアッップルの歴史の本と、『ジョブズ伝説』というジョブズの伝記を著しているのですが、その時、つくづく思ったのは、「アップル製品の魅力の半分は日本文化にある」ということでした。

左上の写真は、ジョブズが1984年に初代Macintoshを発表したときの写真なのですが、座禅を組んでいて、その上にMacintoshを載せていることが分かります。右上の写真は、2011年にジョブズが亡くなったときにアップル・キャンパスで開かれた追悼集会の様子なのですが、その時、ビルの壁に掲げられていたのがこの写真です。それくらいジョブズの生涯を象徴する写真なわけですが、そこに込められたメッセージは「俺はこれ(禅の精神)でMacintoshを発明した」というものでした。ジョブズは生まれてすぐに養子に出されました。養子に出されるというと聞こえはいいですが、実の両親に愛されなかった、捨てられたということでもあるわけです。彼は小さいころからそのことに悩んで、インドを放浪したりするのですが、禅僧、知野弘文に出会って、初めて精神的な安定を得るのです。「一切を捨てて自分と向き合え」。こうした禅の精神は、「システム思考」に繋がるものなわけです。ジョブズはまた、日本の職人芸を尊敬していました。そして、日本人の美意識。ジョブズは、伝統的な日本文化に「システム思考」の極意を見出し、それによって素晴らしい製品を開発し、アップルを時価総額世界一に導いたわけです。それに対して、我々日本人はどうでしょうか? 近代化の過程で、この素晴らしい日本文化を大切にせず、自ら滅ぼしてきた。その結果、どうなったでしょうか? 今や、素晴らしい製品やサービスを生み出すことができなくなり、どこへ向かっていったらいいのか、方向性を見失ってしまっているわけです。

「コミュニケーション・アンプリファイア・システム(CAS)」理論

では、具体的にどう人間社会を「システム思考」で理解したらいいのでしょうか? ここでは、その一例としてアラン・ケイに触発されて、私が考えた「コミュニケーション・アンプリファイア・システム(CAS)」理論を紹介します。2014年に日本を代表するメディア学者の浜野保樹教授がお亡くなりになったのですが、その時、もう一度、先生の本を読み直してみようと思って、主要作品すべてを読み直してみたのです。そして、その時、代表作の『ハイパーメディア・ギャラクシー』の中で、アラン・ケイの次の言葉を発見して、「これだ」と思ったのです。「コンピューターはコミュニケーション・アンプリファイア(増幅器)である。私は、飛行機もコミュニケーションの道具であって、複写機もコミュニケーションの道具であると思う。鉄道会社の人々は自分たちが鉄道業界にいると思っており、IBMの人間は自分たちがコンピューター業界にいると思っている。しかし両者とも実際はコミュニケーション業界にいるのだ」。

まず、「コンピューターはコミュニケーション・アンプリファイア(増幅器)である」という言葉ですが、これは、私がMacintoshに初めて触ったときの感動を表すのにぴったりの言葉だと思いました。Macを触っていると、このマシンとは会話ができる。会話がはずむ。楽しい。ワクワクするといった不思議な感情が湧いてくる。そして、Macについて、ユーザーどうしで話をしていても、やはり会話がはずむ。楽しい。ワクワクするといった体験をするわけですが、この共感や感動を増幅する感覚を表すのに、これ以上の言葉はないと思いました。Macintoshは、アラン・ケイの「Dynabook Concept」に啓発されて開発された製品ですから、まさしくアラン・ケイの「コミュニケーションをアンプリファイするコンピュータ」という考え方を受け継いでいるわけです。そして、この「コミュニケーション・アンプリファイア」という言葉は、コンピュータのみならず、あらゆる製品やサービスの魅力を表すのにぴったりの言葉だと思いました。

次に、「飛行機も複写機も鉄道もIBMのコンピュータも、すべてコミュニケーションの道具であり、コミュニケーション業界なのだ」という言葉ですが、浜野さんは「コミュニケーションという言葉には、交通運輸という意味があり、ケイは当たり前のことを言っているにすぎない」と続けています。しかし、私はこれを「あらゆる人間活動はコミュニケーション活動である」と拡張して考えられるのではないかと思ったのです。辞書の「コミュニケーション」という言葉には、「情報や感情のやりとり(情流)」「人の行き来・交通(人流)」「モノの行き来・運輸(物流)」という意味が含まれています。これに、「マネーのやりとり(金流)」も含むとすると、人間社会は、「情流・人流・物流・金流のマトリックスで構成されるコミュニケーション・アンプリファイア・システムである」と定義できるのではないか、と考えたのです。そして、「フレミングの左手の法則・右手の法則」のように、それぞれの要素が関連して増減すると考えられる。そうすると、アップルがiPhoneを発明して、瞬く間に普及させたことで、時価総額世界一企業になった理由が論理的に説明できるのです。iPhoneは、人々の会話を活性化するのはもちろん、人の行き来、モノの行き来、そしてマネーの行き来も飛躍的に活性化するデバイスであり、だからこそアップルは時価総額世界一企業になったのだと。そして、Google、Amazon、Facebookといった時価総額上位企業や、Instagram、Airbnb、TikTokといった新興ベンチャーもすべて、人々のコミュニケーション・アンプリファイア・システムをデザインし、その領域でナンバーワンになっているということがわかるのです。それに比べて、たとえば、マスメディアは、かつてはコミュニケーション・アンプリファイア・システムとして機能していたが、今はそうではない。だから、衰退しているのだということがわかります。日本の製造業、学校教育、政治・経済システムがダメな理由も説明できるわけです。幸福な家庭と不幸な家庭の違いも、これで説明できます。幸福な家庭は、思いやりのある暖かい会話(インタラクティブ・コミュニケーション)に満ちています。不幸な家庭にあるのは、「ああしなさい、こうしなさい」「お前なんかクズだ」といった命令や攻撃(一方的なコミュニケーション)か、ゼロ・コミュニケーションです。

そして、あらゆる「システム」は「同期」によって機能するという考え方をしているのもCAS理論ならではの特徴です。ダビンチは「水」に注目して、「変化する水の流れ=生命の特徴」という真理を発見したわけですが、CAS理論は「コミュニケーション」「メッセージ」「同期」に注目した「システム思考」なのです。この発想の原点は、コンピュータが動作するときに、同期信号に合わせて各装置(入力装置、演算装置、記憶装置、表示装置、出力装置)がデータのやりとりをするというところにあるのですが、生命活動もまた、各細胞に時計遺伝子があって、視交叉上核というところにある体内時計が、朝日が昇ると、それに合わせて時間を補正して、各細胞がそれに同期して活動をしている。では、人間社会はどうかというと、古代国家というのは、すべて祭政一致で、時の制定と度量衡の制定を必ずしている。これは、インターネットにおけるタイムサーバの設定と通信プロトコルの設定と同じではないか、という考え方をしているわけです。NHKの『人体』という番組でも、人体の各臓器はメッセージ物質によってコミュニケーションをしている。脳がすべての臓器をコントロールしているのではなく、各臓器はインターネットのように水平分散ネットワーク・システムを形成している。脳の中も、そこに小さな小人がいて、すべてをコントロールしているというわけではなく、脳そのものが水平分散ネットワーク・システムなのだという説明をしています。宇宙も、たとえば、月と地球といった天体どうしが重力というメッセージをやりとりして、釣り合いをとり、同期しているから離れないといったように考えられないことはない。

「同期」に注目すると、色々なことがわかってきます。私たちは、よく「力を合わせる」という言い方をしますが、「力を合わせる」というのは、「一斉にベクトルの方向を合わせること」、つまり「同期すること」で、私たちは「同期」することに「感動」し「共感」することで、経済活性化するシステムの中で生きているのです。たとえば、ラグビーのワールドカップ。スクラムで日本が力負けしなかったのは、文字通りみんなが一斉に力を合わせたからなのです。つまり、みんなが「同期」し、ベクトルの向きを一点に集中させていた。それこそが「ワン・チーム」の意味なわけです。これは、稲垣が華麗なパスワークでゴールしたシーンにも言えることです。あのパスワークは、普段から膨大な練習を繰り返し、コミュニケーションを密にしていなければできないことです。すると、それを見た人たちも感動して、一体感を持つ。視聴者も同期するわけです。そうすると、みんな元気になって経済が活性化する。コミュニケーションがアンプリファイアされて、そこに大きな経済効果が発生するわけです。

たとえば、2013年に放送されたNHK連続テレビ小説『あまちゃん』は、2011年の東日本大震災で大きな被災を受けた東北の人たちを元気づけましたが、ドラマへの共感(同期)が、多くの人々の東北地方への共感へとつながり、その結果、東北に行ったり、東北の物産を購入したりする人を増やすという大きな経済効果を生むということを、私たちは経験しているわけです。これもまた、「コミュニケーション・アンプリファイア・システム(CAS)」なわけです。

このことを端的に表しているのは「祭り」です。たとえば、「祭り」で神輿を担ぐのは何故でしょうか? 「せいや、せいや」と掛け声を合わせて、みんなが「同期」して担がないと、神輿を持ち上げることはできません。もし、ひとりだけこの「同期」から外れると、大変痛い思いをします。つまり、みんなで一斉に、精神的にも肉体的にも「同期」して神輿を担ぎ、いい汗をかく。そうすると「感動」し「一体感」が生まれ、さあ、みんなで農耕しようとか、敵と戦おうとか、そうやって人類は生きてきた。このことをよく表しているのは、日本語の「祭り事=政(まつりごと)」という言葉です。古代国家は、すべて「祭政一致」という形で成立している。それは、何故なのか? よく「人間は社会的動物である」と言われますが、それは、人間が「コミュニケーション・アンプリファイア・システム」として社会を形成し、団結する、すなわち、力を合わせて何かを成し遂げようという方向に進化した猿だからと考えると、理論的に説明できるのです。そして、このCAS理論に立つと、単純に財政難だからといって、増税したり、社会保障費を削るのはナンセンスだということがわかります。また、コミュニケーション・アンプリファイアに繋がらない税金の使い方は、結果的にその社会システムの衰退、破壊につながるということもわかります。そして、実際にどの政策なり、経営施策がコミュニケーションをどれだけアンプリファイアしているか、していないかということを計測することができ、その計測に基づいて、社会システム自体を設計し直すということも可能になってくるのです。今、世界中のあちこちでデモが起きているのは、今の政治・経済システムが「コミュニケーション・アンプリファイア・システム」としてきちんと機能していないからなわけです。では、どのように政治・経済システムを設計し直せばいいか、ということを考えるためには、目先のあれこれの事象について議論しているだけではダメで、「システム思考」で問題解決をはかれるように、私たち自身が能力を格段に進化させる必要があるのです。

人類進化の歴史を「コミュニケーション・アンプリファイア・システム(CAS)」理論で説明すると、このようになります。まず、40億年前に地球上に生命が誕生した。地球上のすべの生命の仕組みはただひとつである。DNAという共通のプログラミング言語に基づいて誕生し、活動し、自己複製を繰り返している。一部の生命は多細胞生物へ、哺乳類へ、霊長目へと進化した。そして、霊長目の中から600万年前にヒト属が誕生。直立歩行を始めたことで、手を使って道具を製作するようになり、脳が急速に発達した。ヒト族は、599万5000年の間、30人くらいの集団で狩猟採集生活をし、その間、子育ては集団で行い、マンションの一室で母親ひとりに任せきりにするといったような愚かなことはしていなかった。子供は集団の中で存分に遊び、遊びの中から生きる術を学んでいたのである。5000年前に文字を発明し、外部記憶装置を得たことで、人類は農耕牧畜というシステムを発明し、大集団を形成するようになった。そして、その際、「祭政一致」という同期システムによって古代国家を形成した。その後、500年前のグーテンベルク革命で、情報の大量複製・情報の価格破壊が可能となり、一般の人々が情報を共有できるようになった。そして、それにより、宗教改革、産業革命、市民革命が起き、市民社会が実現した。一方、50年前に始まったIT革命は、パーソナルコンピュータ革命は実現したものの、まだパーソナルインターネット革命は実現していない。人類の知識活動を飛躍的に進化させた「本」「図書館」といった外部記憶装置に相当するものが、まだインターネットでは実現していないのである。インターネットは、情報の大量複製・情報の価格破壊によって、本来「IT市民社会」を実現するはずのものだ。しかし、現状のインターネットは、GAFAや投資家、政府のためのものとなっており、一般市民はまったく非力なままである。だから、中国共産党一党独裁政権のような時代遅れの組織がITをほしいままにし、「IT監視社会」へと向かいかねない事態となっている。こうした事態を打開し、一般市民がインターネットのパワーを自らのものにするためには、断片的な情報しか伝えられない現状のチラシ型WWWから、人々の知識活動に役立つブック型WWWへの大転換が不可欠である。なお、ここでいうブック型WWWとは、既存の「本」のようなスタティック(静的)な「本」ではなく、ダイナミック(動的)な「本」、すなわち、1972年、アラン・ケイが論文「A Personal Computer for Children of All Ages(あらゆる年代の子供心を持つ人たちのためのパーソナルコンピュータ)」の中で予言した「Dynabook」のことである。

②WWWを再発明する

そこで、ここからは「WWWを再発明する」とはどういうことか、ということについて話をします。

きっかけは、昨年、インターネット商用化25周年・ダグラス・エンゲルバート The Demo 50周年記念「IT25・50」シンポジウムで、アラン・ケイに基調講演を依頼した際に、「エンゲルバートのThe Demoの25年後に登場したMosaicは、たいしたものじゃない。どちらかと言えば、ひどいものだ。Mosaic Peopleは、エンゲルバートのことも、HyperCardのことも、WWWを開発したNeXTのこともちゃんと勉強してないし、勉強しようともしていない」という返事をもらったことでした。アラン・ケイは、WWWを発明したティム・バーナーズ=リーとネット上で論争までしていて、「ウェブはアマチュアによるものだった」とまで言い切っていました。私は、HyperCardやNeXTはもちろん、GENERAL MAGICのことを知っているので、アラン・ケイが言わんとしていることがよくわかりました。現在のWWWよりもはるかに進んでいて、使っていて楽しく、かつ、役に立つ「もうひとつのハイパーメディア」の系譜があったのです。しかし、現実に普及したのはWWWのほうでした。この点についてティム・バーナーズ=リーは「WWWが普及したのは、シンプルで、フリーで、オープンだったからだ」と言っていて、それはそれで正しいと思います。しかし、WWWは、1993年にマーク・アンドリーセンが、テキストとグラフィックスを同時に表示できるWebブラウザ、Mosaicを発明するまで、ほとんどといっていいほど普及していませんでした。ティム・バーナーズ=リーは、WWWをNeXT上で開発し、「もし、NeXTという環境がなければ、自分がWWWを開発するのに、あと数年はかかったであろう」とまで言っているのですから、NeXTでは標準となっていた、テキストとグラフィックスを同時に表示するブラウザを何故開発しなかったのか疑問が残ります。今年は、1989年にティム・バーナーズ=リーがWWWを発明してから30周年にあたるのですが、いつまでも現状のWWWのままでいいのか、そろそろ考えてもいい時期なのではないかと思っています。

「もうひとつのハイパーメディア」の代表は、1987に発表されたHyperCardです。HyperCardは、Macintoshに標準で搭載されていて、プログラミング知識がなくても、誰でも簡単に自分なりのソフトウェア(スタックウェアと呼んでいました)を作成することができました。そして、プログラミング知識があれば、作り込んだスタックェアも作成することができました。私は、1988年に「MacSchool」というMacの入門書をハイパーメディア化した製品を開発し、販売しました。これは、日本のみならず世界的にみても初めてのe-learningソフトウェアであり、最も商業的に成功したスタックウェアでした。

「もうひとつのハイパーメディア」の流れは、「マルチメディア」というCD-ROMベースの表現力豊かなハイパーメディア・コンテンツ流通へとつながりました。私は、2000年に「カレッジ館Office 2000」というMicrosoft Office 2000(Word 2000、Excel 2000、PowerPoint 2000、Outlook 2000)のe-learningソフトウェアを企画プロデュースしています。この時、一緒に開発したのは学生時代の川島優志さんでした。川島さんは、その後、「カレッジ館Office 2000」をベースにMSN公式サイトにおけるMS Officeチュートリアル・コンテンツを開発し、渡米してGoogleに入社。日本人初のWebマスターとして活躍しました。そして現在は、Niantic Inc.で「Ingress」「ポケモンGO」「ハリーポッター魔法同盟」などの開発に関わっています。

現状のWWWには大きな問題点があります。要するに、現状のWWWは、膨大なアドレス&リンク付きファイルの集合体にすぎないのです。例えて言うなら、断片的な情報しか扱えないチラシの山であり、しかも、そのほとんどがゴミなのです。だからこそ、Googleが儲かるとも言えるわけですが、探し出したい情報を探すためには、適切なキーワードを入力するテクニックや、膨大な検索結果から再び絞り込んでいくテクニックが必要で、一般ユーザーにとっては非常い負荷が大きい。ちょっとした情報検索だけであればいいのですが、人々の知識活動には全く向かない。基本設計からして、「人間の知性を高める」というエンゲルバート掲げたインターネットの理想の姿からは程遠い存在なのです。

では、次世代WWWの基本仕様というのは、どのようなものでしょうか? 次世代WWWは、価値ある知識を扱えるブック型WWWになっているべきでしょう。ユーザーにとって使いやすく、わくわく楽しく有益な存在でなければなりません。そして、現状のWWWブラウザは閲覧するのが中心となっていますが、知識活動を支援する存在となるためには、「本」と「ノート」と「会話」機能が標準装備されていなければなりません。そして、現状のWWWは、専門家やGAFA、アドネットワーク業者、投資家、そして政府といった強者にとって有利なものになっていて、個人のものになっていません。そこで、次世代WWWは、パーソナルコンピュータが個人にコンピュータを解放したように、個人にインターネットを解放する仕様のものでなければなりません。

では、具体的にブック型WWWというのは、どのようなものなのでしょうか? 実は、そのヒントは、500年前のIT革命であるグーテンベルク印刷革命にあります。1455年に制作された『グーテンベルク聖書』には、「表紙」も「目次」も「脚注」も「索引」も、そして「奥付」もありませんでした。当時、そもそも「本」というものは、筆写僧が手書きで一冊一冊書き写すものだったため、大変貴重で、高価なものだったわけです。このため「本」を所有できるのは王侯貴族や身分の高い僧侶だけに限られていて、彼らはおかかえ装丁師を雇っていて、自分の立派な書斎に合うように装丁させていたのです。したがって、印刷所は印刷をするだけで、印刷紙の束、つまりチラシのようなものを納品していたのです。このように「本」が、今日のような「本」の体裁を整える前の時代、これを「インキュナブラ(揺籃期)」というのですが、そうした時代が約50年間続きました。

グーテンベルク印刷革命から50年後、1500年ごろに、もうひとりの立役者が登場します。「商業印刷の父」といわれるアルドゥス・マヌティウス(Aldus Manutius)です。アルドゥス(Aldus)の名は、MacintoshでDTP(デスクトップ・パブリッシング)市場を切り開いた「アルダス・ページメーカー(Aldus PageMaker)」というDTPソフト会社の社名に使われたので、DTPの歴史を知っている人にとっては、馴染み深いものです。アルドゥス・マヌティウスは、八つ折り本、イタリック体、ページネーション、著作権表示といった、今日の「本」の原型を発明しました。私たちは、「本」といえば、「表紙(背表紙を含む)」「目次」「本文」「脚注」「索引」「奥付」といった基本的な構成要素を備えているのが当たり前と思っていますが、たとえば「和書」には、「背表紙」も「目次」も「脚注」「索引」「奥付」もありませんでした。アルドゥス・マヌティウスが発明したとされるページネーションは、「本文」の各ページに連続するページ番号を付け、「目次」に「見出し」を並べることで、「目次」と「本文」の間でランダムアクセスを可能にするためのものです。本棚に並べられたたくさんの本の中から一冊を選べるのは、「表紙」や「背表紙」があるからです。「脚注」は、ハイパーテキストリンクです。「索引」は、キーワード検索。「奥付」には、その本のタイトルや著者名、発行者名、印刷所名、発行年月日、書籍コードなど、その「本」のアイデンティティが記録され、それがあることによって、書店や図書館で、その「本」を探し出せるようになっているわけです。つまり、「本」の構成要素というのは、すべてランダムアクセスを実現するための情報技術なのであり、情報技術の観点から見ると、「本」というのは、「ランダムアクセス性の高い情報ユニット(オブジェクト)」だということができます。そして、「図書館」は、「ランダムアクセスの高い知識ベース(知識クラウド)」だと考えられます。今のWWWは、「本」の歴史になぞらえるなら、まだ体裁が整っていない「インキュナブラ(揺籃期)」の時代、チラシのような状態で流通していた時代で、今日の「本」のように、きちんと情報が体系的に整理され、知識活動に役立つWWWが登場するのはこれからだ、ということが考えられるのです。

では、きちんと情報が体系的に整理され、知識活動に役立つブック型WWWとは、一体どういうものなのでしょうか? 実は、私は20年前に、Kacis(Knowledge Circulation System with AI/人工知能を活用した知識の循環システム)という名称のクライアント・サーバー・システムを開発したことがありました。クライアントソフトのKacis Publisher/ Kacis Writerは、「表紙」「目次」「本文」「脚注」「索引」「奥付」といった「本」の構成要素を備えた文書作成ソフトで、たとえば、『現代用語の基礎知識』や『聖書』『シェークスピア全集』『動物図鑑』『植物図鑑』といった膨大なドキュメントを1ファイルで作成することができ、Kacis Publisherのほうは、著作権保護をかけて、そのまますぐに出版したり、XMLファイルとして書き出すことができるようになっていました。ワードプロセッサでは、こうした文書作成をすることができません。それは、ワードプロセッサが、基本的に「巻物(スクロール)」の構造をしているからです。「巻物」の欠点は、膨大なドキュメントの場合、任意の情報にたどり着くために、行ったり来たりを繰り返さなければならず、ランダムアクセス性が乏しいからです。Kacisは、アウトラインプロセッサとワードプロセッサをドッキングさせた2つのウインドウから構成され、アウトラインプロセッサ側のウインドウで全体的な構成案、つまり「目次」を作成し、ワードプロセッサ側のウインドウには、「目次」に対応する「本文」に相当するカードが連続して並んでいて、「目次」をクリックすると、それに対応する「本文」がすぐに頭出しされるようになっていました。そして、「目次」を入れ替えると対応する「本文」カードがすぐに入れ替わるようになっていて、膨大な情報を整理しながら一冊の本にまとめることができるようになっていました。論文のような「構造化文書」作成に適したドキュメントプロセッサであり、知識活動の効率を大幅に向上するナレッジプロセッサだったのです。サーバソフトのKacis Cabinetは、「図書館」のメタファで、Kacis Publisher/ Kacis Writerで作成したドキュメントを効率的に格納し、ランダムアクセスできるようになっていました。Kacis Publisher/ Kacis Writerは、「ソフトウェア・プロダクト・オブ・ジ・イヤー2001」(SOFTIC)を受賞し、米国でもベンチャーの登竜門、IDGのDEMO会員向けDEMO Letterで絶賛されるなど、将来性を期待されていたのですが、残念ながら、パートナーの開発会社の親会社の事情(商社不況)のあおりを受けて、開発中止を余儀なくされました。

Kacisは開発中止になってしまったわけですが、実はKacisによく似たConfluenceという構造化文書作成ソフト&コラボレーションツールが、今や企業内Wikiの世界標準になっています。Wikipediaによれば、クライアントには、アドビやサンマイクロ、IBM、ジョン・ホプキンズ大学、国際連合など錚々たる企業や組織が名を連ね、公式サイトによれば、現在、世界で35,000社がクライアントになっています。

KacisやConfluenceのような構造化文書が、ワードプロセッサのような巻物文書より何が優れているかといえば、それは、ランダムアクセス性が格段に高いというところにあります。アドビが社内WikiにConfluenceを採用していることが証明しているように、ワードプロセッサはもちろん、PDFよりも企業内文書管理に優れているのが構造化文書なのです。そして、現状のWWWにおける「シェークスピア全集」のページや、Wikipediaの「シェークスピア」のページと、Kacisの「シェークスピア全集」を比較すれば明らかなように、基本的に「巻物」の構造をしたWebページやWikipediaでは、「目次」と「本文」の間を行ったり来たりするのに、膨大な手間と時間がかかり、全体の中で、いまどの位置の文書を読んでいるのかすらわからなくなってしまいます。これに対して、Kacisの場合は、「目次」が「本文」から独立して、常に表示されているので、ランダムアクセスが可能な上、常に全体の中で、どの位置の文書を読んでいるのかがわかる形で文書を読み進めることができます。さらに、Kacisの場合、「本」と「ノート」の間で、著者が任意に設定した著作権保護が許諾する範囲で、テキストやグラフィックス、ムービー、3Dグラフィックスの引用が可能となっていて、自動的に出典を明記するようになっていました。

では、具体的に次世代WWW開発は、どのように進めたらいいでしょうか? 全体的な設計のし直しということになると、膨大な時間と労力がかかります。そこで、まずはできるところから取り掛かるのがいいと考えています。そのひとつは、ブラウザにブック型WWWの機能を少しずつ付加していくというやり方です。たとえば、構造化文書機能を付加するにはどうしたらいいか、プロトタイプを作成してみました。そうしてみたところ、FirefoxとSafariは、ブックマークをメインウインドウの左側に表示するようになっているので、このブックマークを利用して擬似的に「目次」を作成することができました。Google Chromeの場合は、ブックマークを別ウィンドウに表示する仕様になっているので、プロトタイプを作成することができませんでした。あくまで、このプロトタイプは擬似的なものです。実際には、各ブラウザ開発会社に働きかけて、「目次」ウインドウを開発してもらい、この「目次」に対応するWebページの仕様を標準策定していくいうのが現実的だと思います。このようにチラシ型WWWの中にブック型WWWが並存する状態を実現すれば、徐々にブック側WWWに対応するサイトが増えていくと考えられます。たとえば、長文のニュースとか教科書的に活用したい文書の場合は、ブック型WWWに対応したほうが、はるかに利便性が高まります。その他、Kindleなど電子書籍アプリ開発会社に働きかけて、ブラウザに対応するブラグインを開発し、かつ、ノート機能を格段に拡充していってもらうというやり方も考えられます。現状のようにWebブラウザと電子書籍が別々に存在している状態のほうが不自然です。いずれ、両者はドッキングするでしょう。そして、読者が電子書籍の要点をノートにメモしながら、Webを自由に散策し、関連情報をクリッピングしながら、自分なりのノートを作成していけるようになると考えられます。まさにそれこそが知識活動であり、そうなってはじめて、人間の知性向上に役立つWWWの時代がやってくることになるでしょう。

③パーソナルインターネット革命

最後に、「パーソナルインターネット革命」についてお話したいと思います。

1984年、Macintoshは、CM「1984」とともに登場し、「1984年は小説「1984」が予想したようにはならない」すなわち「ビッグブラザーに人々が支配される専制的な社会にはならない」。なぜなら「Macintoshが登場するから」といった「パーソナルコンピュータ革命」宣言をしました。そして、その結果、誰もがスマートフォンという名のパーソナルコンピュータを手にすることができるようになりました。しかし、そのスマートフォンで接続するインターネットの世界は、まだまだ全然、パーソナルになっていません。エンゲルバートがThe Demoを行なった時代、コンピュータといえば部屋全体の大きさの大型コンピュータか、大型冷蔵庫サイズのミニコンピュータのことで、とても高価で操作も難しく、国家や大企業、専門家のためのものでした。当時、やがて個人が使えるようになる時代がやってくるなど、想像できた人はほとんどいませんでした。今日、インターネット、わけてもWWWは、GAFAや投資家、国家のものであり、やがて、それが個人が自在に使えるようになる時代がやってくると想像できる人はそう多くないかもしれません。しかし、過去の歴史から推測できるように、もし、パーソナルインターネット革命を実現したいと強く願う人々が結集し、本気で実現しようとすれば、実現不可能なことではないのです。ということで、2019年、「ITday Japan 2019」は、ここに高らかに「パーソナルインターネット革命」宣言をします。

最後に、私が発見した「IT(情報技術)発達史の法則」についてお話します。「文字・画像」「映像」「コンピュータ」「Web」いずれの場合も、最初は「断片」的なものから始まり、次いで「巻物」的なものになり、「ランダムアクセス可能」なものへと進化するという法則があります。「文字・画像」の場合、最初は粘土板(楔形文字)や亀の甲羅・獣骨(甲骨文字)といった「断片」に記録し、次いでパピルスや木簡・竹簡といった「巻物」に、そして、ランダムアクセス可能な「本」に記録するようになりました。「映像」の場合、最初はキノーラのようなパラパラマンガのようにして閲覧する「断片」、次いでフィルムやビデオテープのような「巻物」、そしてDVDやブルーレイのような「ランダムアクセス・メディア」へと進化しました。「コンピュータ」の場合、最初はパンチカードのような「断片」、次いで紙テープ、磁気テープのような「巻物」、そして、CD-ROMやDVD-ROMのような「ランダムアクセス・メディア」へと進化しました。そして、Webの場合も、最初はファイルのような「断片」、次いでTwitterやFacebookのタイムラインのような「巻物」へと進化。「ランダムアクセス・メディア」であるKacisは、本来であれば「巻物」の次に登場するはずのものでした。この「IT(情報技術)発達史の法則」から明らかなように、次世代WWWは、間違いなく「ランダムアクセス性」が桁違いに高いものであり、かつ、「マルチメディア」性の高いものになるはずです。たとえば、テレビ番組のように、いつでもどこでも見たいときに見ることができない時代遅れのコンテンツも、いつでもどこでも見たいときに見ることができるようになり、しかも、シーンごとのランダムアクセス性も飛躍的に高まっているでしょう。そして、従来バラバラだったITはクラウドに集約され、クラウド上でどうやってランダムアクセスの高い形で収納し、さまざまなクライアント・デバイスごとに、どうやって最大パフォーマンスで活用できるようにするかが、これからのIT開発の主戦場となります。

まとめ

まとめです。「ITday Japan 2019」では、私たちが直面している「IT監視社会」か「IT市民社会」か、という深刻な問題を解決するために、3つの提案をしたいと思います。1つめは、「システム思考」です。人間社会を「コミュニケーション・アンプリファイア・システム(CAS)」といった「システム思考」によって分析、解析し、問題解決することです。2つめは、「WWWを再発明する」です。断片情報しか扱えないチラシ型WWWから知識活動に役立つブック型WWWへの大転換。3つめは、「パーソナルインターネット革命」です。世界初の商用パーソナルコンピュータMacintoshが「The Computer for the Rest of US(専門家ではない、その他の普通の人々のためのコンピュータ)」というメッセージとともに登場し、「パーソナルコンピュータ革命」を成し遂げたように、「ITday Japan 2019」は、「The Internet for the Rest of Us(専門家ではない、その他の普通の人々のためのインターネット)」というメッセージとともに、「パーソナルインターネット革命」実現を目指すことを宣言し、具体的な開発に取り組みます。ぜひ、ご賛同いただける方は、ご参集ください。ありがとうございました。

パネルディスカッション

続いて、ジャーナリストの服部桂さんの司会のもと、 AIエンジニアの園田智也さんに加えて、Zoomを通じて、大阪・緑会の高橋望さん、大分ハイパーネットワーク社会研究所の青木栄二さん、東京神田MOSAのテクノロジーライター大谷和利さんが参加し、「 ITday Japan」実行委員会代表の高木利弘の6人で、パネルディスカッションを行いました。

【追記】

私たちは今、「IT監視社会」vs.「IT市民社会」の分岐点に立っています。
今の中国政府が中国ハイテク企業とタッグを組んで目指しているのは、「IT監視社会」です。
たとえば、中国全土4億台の監視カメラをAIネットワークし、瞬時に個人を特定、行動予測する街頭監視システムを2020年までに完成しようとしています。また、中国最大「アリペイ」の「芝麻信用(セサミクレジット)」は金融取引のみならず、学歴・家族・資産・性格・嗜好・人脈・発言、行動すべてを信用スコア化します。そして、政府にとって望ましい人物にはインセンティブを提供する一方、政府にとって望ましくない人物に対しては、高速鉄道や航空機に搭乗できなくするとともに、財産没収、逮捕、監禁まで迅速に行えるようにしようとしています。そして、天安門事件など中国共産党一党独裁の負の歴史は消去し、人権派弁護士やイスラム教徒など批判勢力は徹底的に弾圧・洗脳しています。「逃亡犯条例改正」をめぐる香港市民の抗議デモに対しても、中国政府は強硬姿勢を崩さず、解決の糸口はまったく見えない状況です。米中5G戦争が勃発し、華為技術(ファーウェイ)排除を決断したのも、世界中のインフラを中国に握られてしまう危険性に気づいたからです。
「IT市民社会」は、政府やプラットフォーマ任せにせず、市民自ら創造する以外、実現の方法はありません。

IT革命は、基本的にピラミッド型社会から水平分散ネットワーク型社会への移行を推進するものですが、過渡期の現在、ピラミッ型組織がぐらついている一方、インターネット成長は未熟で、このため、「IT監視社会」に向かうのか、「IT市民社会」へ向かうのか、予断を許さない状況になっています。そして、「IT市民社会」は、政府やプラットフォーマ、VC任せで実現するものではありません。市民自らが積極的に活動し、自ら創造していく以外、実現の方法はないでしょう。

「ITday」実行委員会では、今後とも、ダグラス・エンゲルバートThe Demoが開催された1968年12月9日を「ITday(IT記念日)」として、毎年12月9日に全世界的に「ITday」シンポジウムを開催し、一般市民による一般市民のための「IT市民社会」実現に向けて活動を続けていく予定です。「ITday」の活動趣旨にご賛同いただける方は、ぜひご参集ください。

お問合せは、こちら( http://itday.net/ask/ )まで。

「ITday」実行委員会/事務局 クリエイシオン 高木利弘 Facebook ID:Toshihiro Takagi

 

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