①システム思考
では、具体的にどうやって人間の知性を高め、人類が直面する複雑で深刻な問題を解決すればいいのでしょうか?
その答えは、「システム思考」によってである、という話を最初にしたいと思います。
「システム思考」とは何か? その答えをわかりやすく教えてくれる番組がありました。NHKスペシャル「ダビンチ・ミステリー 第2集 “万能の天才”の謎〜最新AIが明かす実像〜」です。「万能の天才」レオナルド・ダビンチはどうして「万能の天才」になり得たのか? それは「システム思考」によってである。自然界や人間社会のような複雑な事象を理解し、問題解決をする鍵は、これからのAI時代、最も必要とされる「システム思考」、すなわち「既存の常識にとらわれず、あらゆる物事を関連性・つながり・文脈で捉える思考法」にあるという話でした。
「システム思考」は、「世界の本質を理解」することができる思考法です。そして、それによって「世界を変えられる」思考法でもあるのです。
レオナルド・ダビンチ、ダグラス・エンゲルバート、アラン・ケイ、スティーブ・ジョブズ、この4人に共通しているのは、世界の本質を理解し、世界を変えられる「システム思考」を体得していたことなのです。
昨年、2018年12月10日(日本時間)に開催したインターネット商用化25周年/ダグラス・エンゲルバートThe Demo 50周年記念「IT25・50」シンポジウム の基調講演の中で、アラン・ケイは「エンゲルバートはシステム思考をしていた」という話をしていました。
そして、「人間・教育・メソッド・言語・道具を結合し、システムとして機能させる」ことで「人間の知性を高め」「協働して人類が直面する深刻な問題解決をはかるべきである」という話をしていたのです。このようにエンゲルバートの「システム思考」を理解することがきわめて重要なわけですが、The Demoから51年経った現在においても未だに我々はそれを実現できていません。
ダビンチは、5,600ページもの手稿を残していました。それをすべてスキャンし、AI分析した結果、色々なことがわかってきました。たとえば、ダビンチは、ガリレオが地動説を発表する100年近くも前に、太陽と月と地球の関係を手稿に描き残していたのです。
そして、飛行機もなかった時代に上空からの正確な地図も残していました。AI分析の結果、おそらくこれで計測したのではないかという器械が見つかり、実際にその器械を作って計測したところ、衛星写真とぴったり合うことがわかりました。
「動脈内部の弁が閉じるのは、血流の渦が生じるからである」ということも書き残していました。こうした発見ができたのは、ダビンチが幼い頃から「水」に関心を持ち、「水」こそが生命の担い手であるということに気が付いていたからではないか、だからこそ、「モナリザ」をはじめ数々の肖像画の背景に川をはじめとする自然を描いていたのではないかと番組では推測しています。
「聖母子と聖アンナ」の背景にも、そうした川のある風景が描かれています。
では、どうすれば「システム思考」を身につけられるのか? そのヒントはジョブズが晩年、2度も繰り返して述べた「テクノロジーとリベラルアーツの交差点」という言葉にあります。この言葉は、2010年1月に初代iPadを発表したときと、2010年6月にiPhone 4を発表したときに、基調講演の最後にジョブズが述べた言葉で、「アップルが創造的な製品を開発できるのは、テクノロジーとリベラルアーツの交差点に位置しているからである」というように、アップルが何故、素晴らしい製品を開発することができ、それによって、時価総額世界一になることができたのか、その秘密を明かしてくれているのです。しかし、多くの人は、その本当の意味を理解しようとはせず、また、そう簡単に理解できる言葉でもありませんでした。その本当の意味を、今日ここで、皆さんに明らかにします。もちろん、あくまでも私の理解している本当の意味ということですが。まず、第一に「リベラルアーツ」というのは、辞書で引くと「教養」と出てきます。しかし、「技術と教養の交差点」では、一体何を言おうとしているのか、ぜんぜんわかりません。
「リベラルアーツ」は「藝術」と訳すのが正しいのです。何故なら、「藝術」という言葉は、明治時代、西周が「リベラルアーツ」の訳語として作った造語だからなのです。今日では、「芸術」というと「アート」の訳語だとされていますが、「アート」という言葉が、どちらかというと表面的な、あまり深みのない作品にも使われたりするのに対して、「リベラルアーツ」はもっと深みのある、「あらゆる学問を、一切の前提を排して、徹底的に藝術的なレベルにまで極める」という意味で使われる言葉なのです。本来、「教養」というのは、「学問を極限まで、藝術的なレベルにまで極める」という意味の言葉なのですが、私たちが普段使っている「教養」という言葉には、そこまで深い意味がありません。ですから、ここは「藝術」と訳すべきなのです。それから、「テクノロジー」という言葉も、ジョブズが使っているのだから「コンピュータ・テクノロジー」とか「エンジニアリング」のことだろうと思う人が多いのですが、それも間違っています。「テクノロジー」という言葉には、そうした理系の技術だけではなく、「官僚」「法律」「国家」「軍議」「マネー(金銭)」「経済」「経営」「仕事」「学校」といったように、ありとあらゆるテクニック、私たちが「制度」と呼んでいるものも含まれているのです。そして、日本の官僚や政治家、専門家は、このテクニックの話ばかりしている。あるいは、「技術」も「藝術」のどちらもが欠落している。だから、ダメなのです。
「テクノロジーとリベラルアーツの交差点」とは「技術と藝術の交差点」のことであるというのは、このようにダビンチに置き換えてみるとよく分かります。「システム思考」とは「テクノロジー(技術)とリベラルアーツ(藝術)の交差点」に位置して初めて体得できるものであり、要するに「ダビンチ思考」であると考えればわかりやすいと思います。
ジョブズは「テクノロジー(技術)とリベラルアーツ(藝術)の交差点」に位置することで、iPhone、iPadという革新的な製品を世に送り出し、それによって、アップルを時価総額世界一企業にするという偉業を成し遂げました。その下にある左側の写真は、私とパネラーのひとり、園田智也さんがアラン・ケイのご自宅を訪問したときのものです。三人のうしろに見えているのはパイプオルガンです。今日、おいでの皆さんの中に、自宅にパイプオルガンがあるという方は、いらっしゃいますでしょうか? 右側の写真は、そのパイプオルガンのある大きな部屋でクラシックコンサートを開催しているところです。私がアラン・ケイに「基調講演の打合せのためにお伺いしたい」と言ったところ、「ちょうどそのころコンサートをやるから、それに合わせて来ないか?」といって招待していただいたのです。アラン・ケイは、若いころ、プロのミュージシャンとしても活躍していました。昼間はコンピュータサイエンティストとして研究に打ち込み、夜はプロのギタリストとしてジャズ演奏をする。そういう「テクノロジー(技術)とリベラルアーツ(藝術)」の両方を極めている人だからこそ、「システム思考」をすることができ、それによって世界を変えることができたのです。
そして、実は、この「テクノロジー(技術)とリベラルアーツ(藝術)の交差点」という考え方は、伝統的な日本文化に極めて近いものなのです。ジョブズが亡くなった2011年に、私は『The History of Jobs & Apple』というジョブズとアッップルの歴史の本と、『ジョブズ伝説』というジョブズの伝記を著しているのですが、その時、つくづく思ったのは、「アップル製品の魅力の半分は日本文化にある」ということでした。
左上の写真は、ジョブズが1984年に初代Macintoshを発表したときの写真なのですが、座禅を組んでいて、その上にMacintoshを載せていることが分かります。右上の写真は、2011年にジョブズが亡くなったときにアップル・キャンパスで開かれた追悼集会の様子なのですが、その時、ビルの壁に掲げられていたのがこの写真です。それくらいジョブズの生涯を象徴する写真なわけですが、そこに込められたメッセージは「俺はこれ(禅の精神)でMacintoshを発明した」というものでした。ジョブズは生まれてすぐに養子に出されました。養子に出されるというと聞こえはいいですが、実の両親に愛されなかった、捨てられたということでもあるわけです。彼は小さいころからそのことに悩んで、インドを放浪したりするのですが、禅僧、知野弘文に出会って、初めて精神的な安定を得るのです。「一切を捨てて自分と向き合え」。こうした禅の精神は、「システム思考」に繋がるものなわけです。ジョブズはまた、日本の職人芸を尊敬していました。そして、日本人の美意識。ジョブズは、伝統的な日本文化に「システム思考」の極意を見出し、それによって素晴らしい製品を開発し、アップルを時価総額世界一に導いたわけです。それに対して、我々日本人はどうでしょうか? 近代化の過程で、この素晴らしい日本文化を大切にせず、自ら滅ぼしてきた。その結果、どうなったでしょうか? 今や、素晴らしい製品やサービスを生み出すことができなくなり、どこへ向かっていったらいいのか、方向性を見失ってしまっているわけです。